メモ 01
通報者は混乱していたが、嘘をついているようには見えなかった。 恐怖を説明しようとする人間の言葉は崩れる。 だが、彼女の言葉は一箇所だけ崩れなかった。
「私の声だった」
報告書に書けないものほど、
報告書に残っていた。
その電話は、
押収された後も、
鳴った。
黒電話は、山の上の貸家から回収され、所轄署の証拠保管室へ移された。 物品としては旧式回転式電話機。メーカー不明。製造番号判読不能。 配線は切断され、受話器は封印された。
当初、警察は玲奈の通報を、深夜の混乱による誤認、あるいは不審物発見として処理しようとした。 貸家に置かれていた黒電話は古いが、見た目には危険物ではない。 爆発物、盗聴器、通信装置としての異常も、その場では確認されなかった。
しかし、問題は電話そのものではなく、電話が置かれていた状況だった。 家に電話線はない。玲奈はその電話を持ち込んでいない。 不動産業者も、前の入居者も、室内備品として黒電話を確認していない。
そして最大の異常は、押収後に発生した。証拠保管室で封印されていた黒電話が、 午前三時十七分、録音装置にベル音を残したのである。
報告書では、この出来事は「音源不明の環境音」として記録された。 しかし黒川刑事の私的メモには、別の言葉が残っていた。
以下は、物語内に残された警察報告書の抜粋として構成した記録である。 公的文書の硬い言葉と、そこから漏れる恐怖の差が、このページの中心になる。
公式報告書には残せない言葉が、担当刑事の私的メモに残されていた。 それは捜査資料というより、眠れなくなった人間の独白に近い。
通報者は混乱していたが、嘘をついているようには見えなかった。 恐怖を説明しようとする人間の言葉は崩れる。 だが、彼女の言葉は一箇所だけ崩れなかった。
「私の声だった」
押収した電話機に発信機能は確認できない。 にもかかわらず、保管室内でベル音が記録された。 防犯映像に人影なし。棚の封印破損なし。
音だけが、棚の中から出ている。
音源不明と書くしかない。だが、自分の耳では聞いている。 あれは環境音ではない。電話が鳴っていた。
問題は、電話が誰を呼んでいたのかだ。
午前三時十七分以降、内線電話を見るのが嫌になった。 鳴っていない電話ほど気になる。
もし鳴ったら、自分は出るのか。出ないのか。
証拠保管室の録音装置に残された記録は短い。 しかし、報告書上もっとも重要な異常はここにある。
公式な形式に収めようとすればするほど、記録は矛盾を増やしていく。 その矛盾こそが、黒電話の存在を浮かび上がらせる。
証拠写真の一部に、押収日時より前のタイムスタンプが残っている。 撮影者欄は空白。写真には貸家の居間ではなく、証拠保管室の棚が写っていた。
保管時に新しく貼られた封印紙が、翌朝には数年経過したように黄ばんでいた。 ただし破損はなく、貼替の形跡もない。
通報者、担当刑事、鑑識担当者が触れたはずの場所にも有効指紋が検出されない。 表面は汚れているのに、指紋だけがない。
録音上、ベル音は棚の奥から始まる。 しかし数秒後には、マイクの直近で鳴っているようなレベルに変化している。
防犯映像では、午前三時十七分の前後だけノイズが増える。 完全な欠落ではない。棚は映っている。電話だけが、見えにくくなる。
黒電話を扱った複数の担当者が、古い家で電話が鳴る夢を見ている。 報告書には記載されていないが、聞き取りメモには残っている。
警察報告書は、証拠品317、着信記録、録音書き起こしの中心にある。